「ニュータイプ」の版間の差分
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超感覚的知覚を持った人間の事であり、超能力者とは似て異なる。「[[機動戦士ガンダム]]」劇中でもエスパーとは異なる旨が話されている。<br />具体的な能力としては、他者の感情や意識を声として感じ取る、瞬時に空間把握し死角からの攻撃を悟る、等として現れており、ニュータイプ能力と呼ばれる。ニュータイプ能力は[[サイコミュシステム]]を通す事で、機体制御や[[オールレンジ兵器]]等に利用される。しかし、これらはあくまでも副次的なものであり、本来は「誤解なく分かり合う人々」のための能力とされているが、ほとんどの作中では戦争に、プロパガンダに利用されてしまっている。一方で、自分の心に他者が踏み入られるのを拒むものも多く、ニュータイプ同士であっても分かり合うことができないというケースもある。<br />ニュータイプ能力者は宇宙移民が開始された頃から出現したとされており、[[ジオン・ズム・ダイクン]]の掲げた人類の革新の象徴として認知される事が多い。ただし地球出身のニュータイプ能力者も存在する。<br />作中では心的ストレスを感じている、もしくは感じた者にニュータイプが多い。 | 超感覚的知覚を持った人間の事であり、超能力者とは似て異なる。「[[機動戦士ガンダム]]」劇中でもエスパーとは異なる旨が話されている。<br />具体的な能力としては、他者の感情や意識を声として感じ取る、瞬時に空間把握し死角からの攻撃を悟る、等として現れており、ニュータイプ能力と呼ばれる。ニュータイプ能力は[[サイコミュシステム]]を通す事で、機体制御や[[オールレンジ兵器]]等に利用される。しかし、これらはあくまでも副次的なものであり、本来は「誤解なく分かり合う人々」のための能力とされているが、ほとんどの作中では戦争に、プロパガンダに利用されてしまっている。一方で、自分の心に他者が踏み入られるのを拒むものも多く、ニュータイプ同士であっても分かり合うことができないというケースもある。<br />ニュータイプ能力者は宇宙移民が開始された頃から出現したとされており、[[ジオン・ズム・ダイクン]]の掲げた人類の革新の象徴として認知される事が多い。ただし地球出身のニュータイプ能力者も存在する。<br />作中では心的ストレスを感じている、もしくは感じた者にニュータイプが多い。 | ||
− | + | シリーズによってニュータイプへのアプローチは異なり、作品ごとにその解釈はさまざまである。 | |
+ | 「[[機動戦士ガンダム]]」では「人類の革新」として注目を受けながらも世界の情勢に巻き込まれ、その真の能力を活かせなかった。しかしそれでもかすかな未来への希望として描かれる。テレビ放送の時点では、宇宙に適応し相互理解をする能力を獲得した人々が戦争で翻弄される物語のための舞台装置程度の扱いでしかない。そのため、アムロ・シャア・ララァ等のニュータイプと断言される者以外でも、ホワイトベースの面々やレビル将軍が部分的にニュータイプらしき反応を見せるなどの定義揺れと思われる描写が散見される。続編となる「[[機動戦士Ζガンダム]]」では、反対にその能力ゆえに世界の干渉を受け、ニュータイプという存在が生み出す悲劇として描かれた。とりわけカミーユは高い感受性を持ち、突然遭遇したアクシデントの背景や各人の思想などから状況を瞬時に読み取り行動などするなど化物染みた高いニュータイプ能力を示し、その能力故に戦争の中に自ら身を投じていくことになる。また、ニュータイプ能力を後天的に付加する強化人間も本作から登場した。 | ||
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+ | 宇宙世紀から離れた「[[機動新世紀ガンダムX]]」では人類の希望、世界の覇権の象徴という偶像として人々に語り継がれているが、実際は彼らはただの「一代限りの突然変異」でしかない。作中では「(世界の未来を導いていくという意味での)ニュータイプは存在しない」と結論付け、「世界は一部の人間が作り出していくものではなく、人類すべてで背負っていくもの」という、「ニュータイプに未来を押し付けることで世界に対して無関心であることの否定」と「世界に対してそれぞれが負うべき責任」という姿勢を明確にした。これは非常に痛快な回答であり、世界を変えていくには特別な力は必要ない、誰でもできるという希望に満ちたものであり、(ないものをないと嘆くよりも)今あるもので変えていこうじゃないか、という物語と一致した非常に力強いメッセージだった。しかし一方で「世界を変えるニュータイプの力」と「人類誰もがニュータイプになれる」というもう一つの未来への希望を否定したことにもなり、宇宙世紀のファンからは評価は低い。これはどうしても生じる物事の二面性のためやむをえない解釈ではあるが、それにとらわれている限りはそれこそニュータイプへの変革は遠いと言わざるを得ないだろう。ちなみに、ガンダムXは「ガンダムを考えるガンダム作品」のメタ的な視点においてニュータイプという単語は「旧来のガンダム像」と暗喩しており、前述の提唱や否定されたメッセージを '''ニュータイプ → 旧来のガンダム像 世界 → ガンダム作品''' と置き換えて読むと、中々考えさせられるメッセージに見えてくる。 | ||
+ | また、言葉は異なるものの「[[機動戦士ガンダム00]]」では、[[イノベイター]]として、同様に「人類の革新」の存在として描かれる。 | ||
== 登場作品 == | == 登場作品 == |
2019年9月2日 (月) 20:15時点における最新版
ニュータイプ(Newtype)編集
「機動戦士ガンダム」シリーズに登場する概念。『人類の革新』とも呼称される。
超感覚的知覚を持った人間の事であり、超能力者とは似て異なる。「機動戦士ガンダム」劇中でもエスパーとは異なる旨が話されている。
具体的な能力としては、他者の感情や意識を声として感じ取る、瞬時に空間把握し死角からの攻撃を悟る、等として現れており、ニュータイプ能力と呼ばれる。ニュータイプ能力はサイコミュシステムを通す事で、機体制御やオールレンジ兵器等に利用される。しかし、これらはあくまでも副次的なものであり、本来は「誤解なく分かり合う人々」のための能力とされているが、ほとんどの作中では戦争に、プロパガンダに利用されてしまっている。一方で、自分の心に他者が踏み入られるのを拒むものも多く、ニュータイプ同士であっても分かり合うことができないというケースもある。
ニュータイプ能力者は宇宙移民が開始された頃から出現したとされており、ジオン・ズム・ダイクンの掲げた人類の革新の象徴として認知される事が多い。ただし地球出身のニュータイプ能力者も存在する。
作中では心的ストレスを感じている、もしくは感じた者にニュータイプが多い。
シリーズによってニュータイプへのアプローチは異なり、作品ごとにその解釈はさまざまである。 「機動戦士ガンダム」では「人類の革新」として注目を受けながらも世界の情勢に巻き込まれ、その真の能力を活かせなかった。しかしそれでもかすかな未来への希望として描かれる。テレビ放送の時点では、宇宙に適応し相互理解をする能力を獲得した人々が戦争で翻弄される物語のための舞台装置程度の扱いでしかない。そのため、アムロ・シャア・ララァ等のニュータイプと断言される者以外でも、ホワイトベースの面々やレビル将軍が部分的にニュータイプらしき反応を見せるなどの定義揺れと思われる描写が散見される。続編となる「機動戦士Ζガンダム」では、反対にその能力ゆえに世界の干渉を受け、ニュータイプという存在が生み出す悲劇として描かれた。とりわけカミーユは高い感受性を持ち、突然遭遇したアクシデントの背景や各人の思想などから状況を瞬時に読み取り行動などするなど化物染みた高いニュータイプ能力を示し、その能力故に戦争の中に自ら身を投じていくことになる。また、ニュータイプ能力を後天的に付加する強化人間も本作から登場した。
宇宙世紀から離れた「機動新世紀ガンダムX」では人類の希望、世界の覇権の象徴という偶像として人々に語り継がれているが、実際は彼らはただの「一代限りの突然変異」でしかない。作中では「(世界の未来を導いていくという意味での)ニュータイプは存在しない」と結論付け、「世界は一部の人間が作り出していくものではなく、人類すべてで背負っていくもの」という、「ニュータイプに未来を押し付けることで世界に対して無関心であることの否定」と「世界に対してそれぞれが負うべき責任」という姿勢を明確にした。これは非常に痛快な回答であり、世界を変えていくには特別な力は必要ない、誰でもできるという希望に満ちたものであり、(ないものをないと嘆くよりも)今あるもので変えていこうじゃないか、という物語と一致した非常に力強いメッセージだった。しかし一方で「世界を変えるニュータイプの力」と「人類誰もがニュータイプになれる」というもう一つの未来への希望を否定したことにもなり、宇宙世紀のファンからは評価は低い。これはどうしても生じる物事の二面性のためやむをえない解釈ではあるが、それにとらわれている限りはそれこそニュータイプへの変革は遠いと言わざるを得ないだろう。ちなみに、ガンダムXは「ガンダムを考えるガンダム作品」のメタ的な視点においてニュータイプという単語は「旧来のガンダム像」と暗喩しており、前述の提唱や否定されたメッセージを ニュータイプ → 旧来のガンダム像 世界 → ガンダム作品 と置き換えて読むと、中々考えさせられるメッセージに見えてくる。 また、言葉は異なるものの「機動戦士ガンダム00」では、イノベイターとして、同様に「人類の革新」の存在として描かれる。