量産された機体の内、実戦仕様量産機を原型とする初期先行試作量産型(Aタイプ)が27機程生産され、数次に渡る訓練運用と実戦投入を経て、それら実働データを元に改良されたBタイプが793機、最終的に820機程が生産され、その多くが教導機動大隊の編成や初期の戦闘において使用された。しかし、ボディ内部の容積率の問題から動力系の性能向上が限界に達しており<ref>ジェネレーターから出力される流体パルスシステムによる動力を最短で各ユニットへ供給しているため、脚部および腕部、頭部への関節部分の内部構造に余裕がなく、後の機体と比較してジェネレーターの性能向上や部品交換などが困難であった。ジェネレーターも当初M&Y公社とジオニック社が共同開発したMYFG-M-ES型を搭載する事を前提としていたが、量産開始から終了に至る期間の間にジェネレーターそのものは格段に進歩し、8種類ものバリエーションが生まれていたが、ザクIは機体内の容積のみならず形状そのものが固定されていたため、抜本的な改善は事実上不可能であった。</ref>、各種の戦術や部隊編成、大隊規模の作戦行動における稼働時間などの問題も表面化していた事から、性能を維持あるいは更新しつつ、生産性や整備性の一層の向上が求められた結果、機体の生産はA、Bタイプをあわせて約800機を超えた時点で終了。更なる高性能化を目的とした[[ザクII]]が開発され、そちらがジオン軍の主力を担う事になる<ref>そのため、単に「ザク」と呼ばれるのは後継機であるザクIIを指す場合がほとんどであり、MS-05は「ザクI」「旧ザク」と呼ばれるようになった。</ref>。 | 量産された機体の内、実戦仕様量産機を原型とする初期先行試作量産型(Aタイプ)が27機程生産され、数次に渡る訓練運用と実戦投入を経て、それら実働データを元に改良されたBタイプが793機、最終的に820機程が生産され、その多くが教導機動大隊の編成や初期の戦闘において使用された。しかし、ボディ内部の容積率の問題から動力系の性能向上が限界に達しており<ref>ジェネレーターから出力される流体パルスシステムによる動力を最短で各ユニットへ供給しているため、脚部および腕部、頭部への関節部分の内部構造に余裕がなく、後の機体と比較してジェネレーターの性能向上や部品交換などが困難であった。ジェネレーターも当初M&Y公社とジオニック社が共同開発したMYFG-M-ES型を搭載する事を前提としていたが、量産開始から終了に至る期間の間にジェネレーターそのものは格段に進歩し、8種類ものバリエーションが生まれていたが、ザクIは機体内の容積のみならず形状そのものが固定されていたため、抜本的な改善は事実上不可能であった。</ref>、各種の戦術や部隊編成、大隊規模の作戦行動における稼働時間などの問題も表面化していた事から、性能を維持あるいは更新しつつ、生産性や整備性の一層の向上が求められた結果、機体の生産はA、Bタイプをあわせて約800機を超えた時点で終了。更なる高性能化を目的とした[[ザクII]]が開発され、そちらがジオン軍の主力を担う事になる<ref>そのため、単に「ザク」と呼ばれるのは後継機であるザクIIを指す場合がほとんどであり、MS-05は「ザクI」「旧ザク」と呼ばれるようになった。</ref>。 |