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同時期に[[エゥーゴ]]で開発されていた[[リック・ディアス]]と比較される事も多いが、連邦系技術のみで構成されている性質上技術的に未成熟な部分もあり、ムーバブルフレームも構造材の強度に問題がある。特に瞬発的な外力に対し剛性が不足しており、開発中も六回にも渡る設計変更が行われていたが、連邦由来の技術に拘るティターンズではこの欠点を克服する事は出来なかった。
 
同時期に[[エゥーゴ]]で開発されていた[[リック・ディアス]]と比較される事も多いが、連邦系技術のみで構成されている性質上技術的に未成熟な部分もあり、ムーバブルフレームも構造材の強度に問題がある。特に瞬発的な外力に対し剛性が不足しており、開発中も六回にも渡る設計変更が行われていたが、連邦由来の技術に拘るティターンズではこの欠点を克服する事は出来なかった。
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試作機として4機が製作されグリプスでテストが重ねられたが、4号機が高速機動試験中の墜落事故でパイロットと共に失われ、その後[[カミーユ・ビダン]]によってエゥーゴに強奪されたのを契機に当時稼動可能だった機体全機が[[エゥーゴ]]の手に渡った<ref>当初は3号機が[[カミーユ・ビダン]]の手により2号機と共に強奪され、その後ティターンズの人質作戦により両機は一度奪還されたものの、カミーユがティターンズを離反した[[エマ・シーン]]と[[フランクリン・ビダン]]の協力を得て全機を持ち出した。</ref>。
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試作機として4機が製作されグリプスでテストが重ねられたが、4号機が高速機動試験中の墜落事故でパイロットと共に失われ、その後3号機が[[カミーユ・ビダン]]によってエゥーゴに強奪されたのを契機に、当時稼動可能だった機体全機が[[エゥーゴ]]の手に渡った<ref>当初は3号機が[[カミーユ・ビダン]]の手により2号機と共に強奪され、その後ティターンズの人質作戦により両機は一度奪還されたものの、カミーユがティターンズを離反した[[エマ・シーン]]と[[フランクリン・ビダン]]の協力を得て全機を持ち出した。</ref>。
    
稼動率の低さや強奪事件などで機体そのものの量産化は見送られたが、機体に使用されたムーバブルフレームの技術は[[グリプス戦役]]以後のモビルスーツのほぼ全てに採用され、ガンダムMk-IIの強奪事件がその後のモビルスーツ開発競争に火を付けたといっても過言でもない。皮肉にも[[エゥーゴ]]及びその母体企業である[[アナハイム・エレクトロニクス社]]に渡り改修を受けた<ref>AEにも類似前身技術である「[[ブロックビルドアップ]]」構造が有りその技術を使いこなしていたからこそ早期の解析・改修、AE製後続開発機への反映が施せた部分が有る。</ref>ことで本機は[[ガンダム]]の後継機としての性能を発揮できるようになり、[[ティターンズ]]の保守的な傾向と技術力の差を見せつける結果となった。
 
稼動率の低さや強奪事件などで機体そのものの量産化は見送られたが、機体に使用されたムーバブルフレームの技術は[[グリプス戦役]]以後のモビルスーツのほぼ全てに採用され、ガンダムMk-IIの強奪事件がその後のモビルスーツ開発競争に火を付けたといっても過言でもない。皮肉にも[[エゥーゴ]]及びその母体企業である[[アナハイム・エレクトロニクス社]]に渡り改修を受けた<ref>AEにも類似前身技術である「[[ブロックビルドアップ]]」構造が有りその技術を使いこなしていたからこそ早期の解析・改修、AE製後続開発機への反映が施せた部分が有る。</ref>ことで本機は[[ガンダム]]の後継機としての性能を発揮できるようになり、[[ティターンズ]]の保守的な傾向と技術力の差を見せつける結果となった。
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