フル・フロンタル

2018年2月13日 (火) 11:34時点における2400:2651:9240:800:a9c6:b72d:14c0:60a (トーク)による版 (微調整)

フル・フロンタル(Full Frontal)

袖付き」の首魁と目されている人物。「シャア」の再来」と言われている。 ネオ・ジオンの総帥としてビスト財団の「ラプラスの箱」をめぐり、幾度もバナージの前に立ちふさがる。 1年戦争時のシャアとよく似た仮面をかぶり、立ち居振る舞いも、シャアを知る者からは「シャアそのものだ」と言われた。また、額にはシャアが一年戦争時にアムロ・レイから付けられたものと同じ傷がある。一方、本人はあまり仮面に執着しておらず、要求に応じてすんなり脱ぐなど「ファッションのようなもので、プロパガンダと捉えてもらってもいい」という。紳士的な態度を崩さず、常に理性的で「バナージ君」「アンジェロ大尉」など敬称や階級をつけて呼び、余裕を感じさせる半面、他者との距離を取っている。

「丸裸」を意味する名前と裏腹に、なかなか真意を見せようとしないしたたかな人物で、原作者の福井氏によると「大人っていうことをものすごく自覚的に使ってくる」という。自らを「人の総意の器」とし、自分の行動は個人の意思ではなく、人類の意思であると評した。 その正体はジオン共和国が秘密裏に作り出した人工ニュータイプである。彼は、ラプラスの箱は開かれるべきではなく、これまでどおり地球連邦の弱みとして握り、ビスト家からジオン共和国、およびスペースノイドが地球との交渉に使うべきだとした。

その目的は、地球は食料の供給すらスペースコロニーに依存しているにもかかわらず、依然としてスペースノイドの自治、独立を認めていない。力関係でいえば弱い立場の地球連邦が、未だに対等以上の発言力を持つといういびつな関係を改めさせることにある。「サイド共栄圏」の樹立によってスペースコロニー、およびスペースノイドを地球という頚木から解き放つためのものであるとした。フル・フロンタルは「箱」をそのための根回しに必要と考えた。

これは、人間はもはや変われないという諦観に基づいたものであり、いかなる犠牲を払ってでもニュータイプになるべきとしたシャアとは全く正反対である。逆に、ニュータイプという「幻想」「可能性」を、人類は変われるかもしれない、という実現しない「残酷な希望」を与えるものとして、バナージを危険視した。

物語終盤には自らも「ラプラスの箱」をめぐる最終決戦に参戦。一度はサイアム・ビストの前に現れ、直接「ラプラスの箱」を譲り渡すよう要求するも、「未来の子供達に託すべきもの」として「箱を自らの利益のためにしか考えられない者が持つべきではない」と拒否され、シナンジュ(OVA版ではネオ・ジオング)を駆って実力行使に出る。小説版では圧倒的な戦闘力でもってバナージ・リンクスを追い詰めるも、限界を超えた出力を発揮したユニコーンガンダムのビームトンファーで撃破される。

OVA版では結末が異なっており、真のニュータイプとして覚醒したバナージの能力を見抜き、「分かり合えない人間がたどり着く暗黒の未来」を見せ、ひと時分かり合うことのむなしさを説いた。しかしバナージはそれでも人は分かり合えると「心の光」を伝える。これは「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のラストシーンでシャアが見た「どれだけ心の光があっても人は変われなかった」という現実と、「アクシズを押し出そうとする人々の心の光」によって、人は変われるかもしれないと感じた可能性と同じであり、それを理解したフル・フロンタルは、バナージに「君に託す」と語り、ネオ・ジオングおよびコアユニットのシナンジュもろとも自壊した。

これは、声優を務めた池田秀一が飲み会で「原作の結末ではフロンタルは成仏できない」と監督に伝えたところ、それを受けて考え直したためという。結果として「人は分かり合える」という可能性を示して幕を閉じることになった。

登場作品と役柄

機動戦士ガンダムUC

人間関係

アンジェロ・ザウパー
彼からは神格化されるほどに信奉されているものの、フロンタルからは優れた部下としてしか見られていない。
バナージ・リンクス
ニュータイプとしてその能力を危険視している。
ミネバ・ラオ・ザビ
ジオンの姫君としての立場を持ちながら、むしろジオンの利益を邪魔している彼女をそれなりに問題視していたようだが、それを表に出すことはなく、特にこれといった対応もしていない。一方のミネバからもサイド共栄圏の構想を話した際に自分の知っているシャアは死んだとして、シャアである事を否定されている。
スベロア・ジンネマン
マリーダ・クルス
シャア・アズナブル
アムロ・レイララァ・スン

名台詞

「見せてもらおうか……新しい《ガンダム》の性能とやらを!」
「あたらなければどうということはない」
おなじみシャアのセリフのオマージュ。
「私は……君を殺す。」
実はこちらもシャアのセリフのオマージュ。TV版でも用いられたが、劇場版では「君は自分がいかに危険な人間か判っていない。 素直にニュータイプの有りようを示しすぎた。」から繋がる。この部分もシャアのオマージュだが、シャアは「ニュータイプの存在を人類がまだ受け入れる準備ができていない」からで、フロンタルは「ニュータイプという可能性を人類が信じてしまうから」というまったく異なる側面からの発言となっている。
「過ちを気に病むことはない。ただ認めて、次の糧にすればいい。それが大人の特権だ」
「割り切る」という大人の武器をさらりと見せたシーン。一方、バナージはその後ギルボアを撃ってしまい、そのショックは後々まで尾を引いた。しかし、それこそがニュータイプの素質でもあり、「割り切る」ことで「感じる心」を無くしてしまうことでもある。このことからもフロンタルがニュータイプ的な本質を排除していることがわかる。
「ここへ踏み入り、この目で『箱』の正体を確かめたいと願ったのは私ではない。実は私にも分からないのです。作り物の器に注がれたこの思いが、一体誰のものなのか…」
メガラニカの氷室を訪れた際に。実はフル・フロンタルの大きな変化を示すセリフで「器は考えることはしない」としながらも「箱の正体を確かめたいという意思が誰のものなのか」という「私」という視点から自分自身を見ている。
「光無く、時間すら流れを止めた完全なる虚無……。これがこの世の果て、時の終わりに訪れる世界だ。
人がどれだけあがこうと結末は変わらない。君にもわかるはずだ。希望も可能性もこの虚無の入り口で人が見る一時の夢。慰めにもならない幻だ。
それが人を間違わせ、無用な争いを産みもする。
この真理を知る者がニュータイプ。ただ存在し、消えてゆくだけの命に、過分な期待を持たせるべきではない……。」
シャアが見たものと同じ絶望と良く似ているが、シャアは「分かり合えない人の絶望は、ニュータイプ化することで変われるはず」という可能性を信じていた。一方、フロンタルはそれすらも信じない、ただ「人類を現状維持のままこう着状態にする」という目的しかなかった。その一端が(彼自身のものかどうかは疑わしいが)サイド共栄圏の樹立であり、それをオードリー・バーンから「お前はシャアではない」と指摘された。
「熱……暖かな光……こんなものがいくら積み重なっても、何も……そう、何も……!!」
「完全なる虚無」を見せたフロンタルだったが、「それでも」とバナージの伝えた心の光を受けて。機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのラストシーンで、アクシズショックの中でシャアが感じた「そうか……しかしこの暖かさを持った人間が地球すら破壊する」と、自らの絶望を吐露したように、シャアの亡霊であるフロンタルもまた人類とその未来に絶望していた。しかし、「もう一度未来を信じてみよう」という人々の心の光がその闇を払う。

搭乗機体・関連機体

シナンジュ
作中で言われるところの「シナンジュ」はおおむねこれを指す。本来はユニコーンガンダムの開発用の試作機であり、その機体データの多くはユニコーンガンダム(および2号機であるバンシィ)へとフィードバックされている。機体のムーバブルフレームの一部にサイコフレームを用いた最新機で、そのため、デストロイモードとなったユニコーンガンダムとの交戦中、わずかながらサイコフレームの共振がおき、機体の各所から光が漏れる描写がある。データ取得後は「袖付き」に奪取という形で「譲渡」された。カラーリングや各部意匠が変更されており、パッと見サザビーに似ているが、腰周りのパイプやモノアイ、肩やスラスターの形状やカラーリングをのぞけば実はガンダムに近い。
シナンジュ・スタイン
本来のシナンジュはこちらになる。作中ではすでにフル・フロンタル機としてカスタマイズされているため姿を見ることはできないがOVA版のEP2では若干の違いがあるももの、シナンジュの改修前のデータが表示されている。カラーリングは白を基調としたもので、ツインアイや各部位の特徴は確かにガンダムの面影が見て取れる。
フロンタル専用ギラ・ドーガ
ネオ・ジオング

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